駐日タジキスタン共和国大使館
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タジキスタン観光情報

概要

面積:143,100キロメートル

人口:6,245,000万人

首都:ドシャンベ

主要都市/町:ホジャンド、ホルブ、クルガンチュベ、イストラフシャン、バハダト

タジキスタンは中央アジア南部にある独立してまだ新しい国です。美しく、整ったタジキスタンの山岳部は普段では体験できない文化を体験できる魅力に溢れており、登山客、個人旅行者はこれらを体験することができます。また、それ以外でもマウンテンロッククライミング、ハイキング、乗馬やラクダ乗り、歴史散策などを楽しむことができます。これら以外でも雄大な山々やたくさんの湖に囲まれながらくつろぐこともできます。

タジキスタンの国土は143,100キロメートルで海抜は300から7,495メ-トル海面の上にあります。緯度では西に700km、そして幅は東西に700km、南北に350km延びています。また、国境は北西にはウズベキスタン、北にキルギスタン、南にアフガニスタン、東に中国、そして南東にはタジキスタンがインドとパキスタンから切り離したアフガニスタンの一部が領土として15から65km横に延びています。

地理的に見るとタジキスタンは五つの異なる地域に別けることができます。北タジキスタン、南西タジキスタン、中央タジキスタン、西パミールと東パミールです。これらの地域はお互いの気象条件、起伏、地形、動物の生態や考古学的にも大きく異なります。

タジキスタンの気候は大陸性のため季節は短く、日中の激しい気温変動と湿度やその他幾つかの気象的要素を持っているのが特徴です。日照時間の平均は2,000から3,160間となっています。

パミール山脈:アジアのハブである山々は地元ではボミ・ドンヨウ(別名:世界の屋根)と呼ばれています。山は南のカラコルムとヒマラヤ、西のヒンデュークシュ、北の中国とキルギス国境にある天山山脈と言った山々が連なり世界の屋根を作り出しています。また、これらの山々は地球でもまだ珍しい未調査の未開発地域なので旧ソ連時代から登山客や狩猟客などの誘致に力を入れてきました。


ムズホル区域:この区域は4000から5000メートル級の峰を持つ山々がそびえている山岳地帯です。登るには苦労しますが興奮も味わうことができます。また、トレッキングにつきましても向いてはいませんが綺麗な景色を望むことができます。運がよければマルコポーロマウンテンシープ、野生のラクダやスノーレパード(雪豹)など生息している野生動物を見ることができます。

タジク国立公園中央アジアで最大の自然保護区でその広い区域は高山植物などの生態系に囲まれています。公園は2002年に設立され園内には2.6万種類の動物が生息しています。この中にはマルコポーロマウンテンシープ、アイベックス(山ヤギ)やスノーレパード(雪豹)も含まれています。また、これら以外にも山には氷河があり14種類の生態系と多くの自然遺産があります。

ベシャイパランゴロン自然保全地域:この区域は森に覆われた森林区域でブクホロ鹿、キジ、ハイエナ、リパリアンや狐の生息区域になっています。

ロミト保護区1959年に設立され、面積は16.2千平方キロメートルになります。ヒサール山の南側斜面とロミト渓谷の中が区域とっています。岩肌が厳しい地形をしており海抜1200から3200メートルのところに位置しており、3千平方キロメートル未満の森林地帯がありここは高山植物の保護区、その他の絶滅危惧種動物や花の生息地帯です。

ダシテジム保護区1983年に設立され、面積は19.7千平方キロメートルになります。ハザラテショ山の南側斜面の一部が区域となっています。一帯は岩肌が厳しい地形をしており海抜は850から2400メートルのところに位置しており、約3千平方キロメートルある森林地帯には高山植物の保護区、その他の絶滅危惧の動物や花の生息地帯となっています。代表的な例を挙げるとするならば例えばフイシデンス・カラタビエンシス、オストロウィスキア・マグニフィシア、アイリス・ダラワシカなどが例に挙げられます。中でも特に生息数が最大なものはタジク マークフール カパラ ファルコ‐二です。その他ではヒマラヤンロックアガマ(ヒマラヤ岩アガマトカゲ)、ステレオヒマラヤヌスゲコ(ヒマラヤヤモリ)、スネークアイドスキンク(蛇目トカゲ)やアベルファルスなど他にも様々な動物が生息しています。

サリホサ‐ル国立公園1959年に設立され、1979年の面積拡大に伴い総面積は196平方キロメートルです。タジキスタン南部は開発に伴い蓄牛用の土地が減っていますが、サリホーサルだけは山の天候の都合で比較的よい状態の土地に恵まれています。また、海抜は平均的に1400から4000メートルの間ですので生態系はより中・高山に適応できるものが多く、特に森林地帯にはこれらが多く生息しています。

ゾークル2002年に設立され、面積は80千平方キロメートルにもなります。また、標高は4,100から4,200メートルの間です。この地域は絶滅危惧種の野鳥が多く生息している地域で保護を必要とする区域なのです。代表的な例を挙げるとするならば例えばバールヘッドマウンテングース、ブラウンヘッドガルラウスブルニセパハルス、ヒマラヤンスノーコックテタラオガラスヒマラヤネス、チベタンスノーコックテラタロチベタニウスなどが例として挙げられます。その他数種とアーガリオブイス、アモンポリイやスノーレパードユニシアなどの絶滅危惧の動物が保護されています。

シリルケント自然歴史公園1991年に設立され、面積は31,911千平方キロメートル、海抜800から4500メートルです地理的にこの地域の地層は古代からの沈殿物が変化して出来た岩、炭素花崗岩やその他の岩が点在しています。また、公園内には30以上もの川と8ヶ所の登録された歴史的モニュメント、地形学に岩石学、古生物学、建築学、水文学的や氷河期の歴史的モニュメントなどがあります。中でも重要なのは三つの違う時代からの恐竜の足跡が残っていることです。全体では400以上もの足跡が残っています。50以上の考古学的価値があるオブジェや民俗学的に価値のあるモニュメントが自然の娯楽資源として残っています。

公園は観光に関係するアクティビティの準備する状態にあり山岳ツアーはその一環になります。

ソモ二峰とガルモ山:カラクル湖の北西と西に位置しています。連なっている山々の中での二つの峰は7000m級であり、これら二つの峰はタジキスタンと隣国のキルギス共和国の北にまたがってそびえています。登山を希望される方は移動手段としてこれらの峰に向けてヘリコプターでの移動が可能です。

ヤシイル‐クル:別名グリーンレイクと呼ばれている湖は標高3734mのところにあります。ブルンクルが整備されたことにより湖までは短いドライブ、または1時間の徒歩になります。砂漠の砂が混ざった砂浜があるエメラルドグリーンの色をした湖や温かい温泉が湖の南側にあります。西側にはダムがありここはサレズ湖までのトレッキングコースの出発地点になります。

ドシャンベ:ドシャンベとはタジク語で月曜日を意味します。名前の由来はその昔、主に月曜日に市場が開かれていたことが語源となっています。町は海抜800mのヒサ‐ル渓谷にあるまだ歴史が浅い若い都市です。こうした理由から古代から存在する中央アジアの他都市であるサマルカンドやブハラなどの歴史、考古学的モニュメントがある町とは単純に比較することはできないのです。ドシャンベが最初に認識されたのは1676年のことです。初めはブハラ、サマルカンド、パミールそしてアフガニスタンへの抜けるキャラバンルートの交差点の上にあった小さな貧しい村でしかありませんでした。町には興味深い博物館がいくつかあり、まず初めにタジキスタン新国立考古博物館、次に共和国史、地域史、それとK.Bezodの名前がつけられた美術館を観て回るのをお勧めします。アヤニオペラとバレー劇場で演劇鑑賞をするのも市内での面白い過ごし方だと思います。市内には子供向けの劇場もあります。子供専用の劇場はルクタクと言います。ドシャンベを訪れる際はティーハウスを選ぶのも工夫を凝らした楽しみになります。市内には老舗ティーハウスのロハ-トと呼ばれる有名なティーハウスが大統領宮殿の側にあり、タジキスタンの伝統料理やチャイ(タジキスタン伝統の紅茶)を楽しむことができます。

ホジェンドタジキスタンを代表する第二の都市であると同時に同国でもっとも歴史が古い町のひとつでもあります。ファホナ渓谷の入り口にあたるホジェントには豊かな文化を育んだ数多くの名所が存在します。代表的なのがグランモスクや城塞などの13世紀初期、元の襲来以前の建築物を町中で観ることができます。13世紀から15世紀にかけてホジェントは中央アジア随一の規模を持つ巨大都市のひとつに成長を遂げました。町の規模はホガンドやブハラに及ばなかったものの、当時としては巨大な規模を誇っていました。現在はタジキスタンの工業を担う工業の中心地になっています。主な見所はタジク語で木曜日を意味し、色彩豊かな果物や野菜が豊富にあるパンシャンベバザールや魅惑あふれる建築物でありモスクやバザールの近くにあるシェイク・マスロエム霊廟です。カラヤラクルム人造湖(現地ではタジク海と呼ばれている)川が町の東側にあります。人造湖はシダリオ川に長さ130メートルのカイロクム水力発電所建設のために必要なダム建設の結果作られたものです。人造湖の周囲65km、幅8から20kmです。療養観光、休暇の保養地や観光の拠点として今後さらなるインフラ整備が進められる予定です。

ホルロブ:ドシャンベ、ホジャンドに並ぶタジキスタン最大の都市です。首都からクリャブ方面、南東にあり、距離は舗装されている高速道路で200kmあまりになります。今日までクリャブの人々は山や渓谷で暮らしてきました。周辺には古代にアラビア人やペルシャ人によって発見されたアンティークの採掘場があります。さらに公園の中には作家、哲学者、思想家として名高く、15世紀に活躍したミール・サイード・アリハマドニの霊廟があります。町から西に20km行くとユニークな形をした自然のモニュメントがあるコジャ・ムミン・サルト山があります。高くそびえ立つ山は1キロ先からでも姿を確認することができ、入山地点も山から約4km手前になります。かの有名なベネチア人商人のマルコ・ポーロも書物にサルト山の迫力を綴っています。

クリャブとバリジュアンは古くからにコットンやシルクの製織物を施した編物や桶などの木製や粘土質の家庭用品の生産が盛んな場所です。厚く織り込まれた特徴をもつノマド絨毯、パレスジレミスが有名です。この土地ではこれらを作る原動力として馬を大量に所有しており、この地を訪れた民俗学者であり建築家、そして旅人であるA.Bobrinsky20世紀の終わりにこの土地では古くからこの生産方法と技術が確立され、西暦2006年はクリャブでこれらが確立されてから2700年目の記念年であると書き残しています

イストラフシャン:タジキスタンの北西73kmのところにあり、ホジェンド近郊にあります。中央アジアでもっとも早くから都市基盤が整備された都市のひとつです。歴史は紀元前までさかのぼることができ、現存する歴史の記録では地域がまだペルシャ帝国の一州であった頃の紀元前6世紀まで戻ることができます。紀元前1世紀から紀元数世紀までイストラフシャンはブンジカットの首都で当時の名前でウストラフシャナと言う名前で知られていました。かつてはホジャンド、サマルカンド、ブハラやフィルガナ渓谷を抜けて東と西の文明を結ぶ交易路として重要な要所にありました。また、これらの交易の中心としても栄えていました。現在のイストラフシャンは職人の町として有名です。事実、近年まで職人達はグザラスと呼ばれる指定された地区に住み織物、陶器、バジールや鍛冶屋をしていました。それぞれの衣装の部分はどれも素晴らしく曲線の装飾が施され、絵が塗られた陶器、壁画、また、貴金属商、刺繍や焼き粘土で製作され、光沢と文字を加えた陶器が人々に高い興味を与え、美術や芸術に誘った証拠といえます。

ペンジケント:サマルカンドの東65kmゼラフシャン河の岸辺にある小さい町です。大勢の考古学者達がサマルカンドに憧れています。古代文明のひとつであるソグド人の主要都市が5世紀に築かれました。現代ペンジケントの南の郊外に古代の入植跡-古代ペンジケント跡があります。古代ペンジケントは小さな町でしたが豊かなソグド人の町で、イランの中において準イスラムの中央アジアでもっとも重要な人々でした。民族・領土につけられたソグドの歴史的情報源は紀元前6世紀に起こったイランの初期アルシャク朝から由来しているものです。彼らの中心であるゼラフシャン渓谷では東ヨーロッパ(クライメア)から中国国境やモンゴルへと通じている古代シルクロードと同じように複数の都市国家が形成されました。ペンジケントの南にあるマグザール湖、また、7つの湖の色が変わるしくみは光の加減によって起きます。

ソグド人都市は58世紀に栄え中央アジアのポンペイと表されました。彼らはシルクロードの要所を支配していたのです。

ヒサール要塞:ヒサ-ル渓谷の中心都市で、名前はショドモンの歴史として手書きでつけられました。要塞と町は紀元前6世紀から11世紀中期にかけて築かれました。町はヒサール渓谷の行政、政治、経済の中心でした。その規模は28平方キロメートルで周囲を1つの防壁によって囲まれていました。要塞‐城塞は三つに別れており、自然の丘に築かれています。ヒサ-ル要塞はティサール朝時代から東ブハラの中心として栄え、地域においてはティムールのエポク、ティムリドなど東ブハラの都市への代表的な要所の役割を果たしていました。

ヒサール歴史・文化区域首都からそれほど離れていない場所にあり、15世紀の世界に帰ったような素晴らしい考古学施設です。複数の発掘されたモスク、隊商宿、霊廟、神学校跡などが展示してあります。

ホルボグ遺跡:遺跡はボセ州クルボン・シャヒド村にあります。遺跡は611世紀の間、古代の要塞都市として、町は城下町として成り立っていました。遺跡の規模は70平方キロメートルです。また、統治者宮殿内部の広間二つはすでに全体が発掘されています。これら遺跡内には複数の門がありこれらは町への入り口となる特別で重要な役割を持っていたものです。壁画には細い線模様が施された円形の植物の飾りがクフィックの刻印とライオン像などと調和しながら飾られています。

アジナ・テペ仏教遺跡:5-8世紀の仏教遺跡でクルガン・テッパ遺跡から12㎞離れた場所にあります。遺跡は長方形の形をした要塞に囲まれています。また、建物は大きく二つに分かれており、遺跡内部には寺院があります。寺院敷地内には巨大な十字形のモーターが装飾を施されて階段側にあります。遺跡は主に煉瓦とブロックで建てられ、建物はアーチや丸屋根、また、その他のもので覆われていました。寺院内の壁、広間には多くの釈迦や菩薩像が飾られその内の一つは大きさ13ートルの涅槃仏像です。通廊の壁画には釈迦の説法を映しだしている細密画があり、また、周りには貢物を差し出している人々の様子を描いた壁画があります

ファラン仏教遺跡612世紀の仏教遺跡でファラン村を流れるファランダラヤ川左岸の岩の上にあります。遺跡はモルタル2つを組み合わせてできています。現在、一番上のモルタルには礼拝のために使う四角形の家と石があります。敷地は壁で囲まれており隅には櫓が建てられています。敷地内には役人や僧侶の屋敷が設けられています。屋敷の門は対岸にあるスロ-プとテラス横切るように作られました。仏教遺跡はバクヒンとグレートブデストルート、古代バクヒンを経由して出来上がる東西シルクロ-ド上に築かれました。

ホジャ・マシャド廟1112世紀の霊廟です。建物はユニ-クなオリエンタル建築で建てられています。シャリトス州のサイヨド村にあります。霊廟は10世紀に建てられ、元々は中央の建物1つしかなかったのです。古代の円形鋭尖のアーチは保護されていませんでした。1112世紀にかけて霊廟を正面から円形のドーム型に改修し、より霊廟らしくみせました。建物は当時、イスマイリ・サマニド建築様式でオーナメント、煉瓦やテラコッタの工芸などの豪華な装飾が霊廟に施されていました。円形の建築構造は最初の建物と入り口でつながっており、煉瓦がアーチの後方に寝かせてあります。正面隅には塔があり、霊廟裏にはアイバンと丸天井の通廊があります。ホジャ・マサドはマドラサの中でもっとも古い構造を持つ建築物です。



マハデドェ:アザム廟1116世紀にヒサ-ル歴史・文化保護区にあった霊廟です。当時は3つの円形型がある建物で世界的な大きさを誇っていました焼いた煉瓦をグランチの上に載せて組み立てる方法で建てられました。

古代の建築の大部分にはこのグルホナと呼ばれている小さな円形スペースあり、チョルトクと呼ばれている4つのア-チの中にあります。

建物は11世紀に建てられました。11世紀~12世紀にはグルホナの南にあるゼラトナが共通の中心国として中心に加わりました。さらに16世紀には、計画として十字曲線にもう1つグルホナを西に追加建設予定でした。霊廟は1990年に復元され、ヒサール歴史・文化保護区にあるイスラム歴史博物館に展示されています。

ミールサイード・アリカマンド-二廟:15世紀~17世紀に活躍したクリャブ出身の著明なペルシャ系タジク人の科学者です。ミールサイード・アリカマンド-二と彼の軌跡は霊廟からも伺い取ることができます。また、彼は著者としても知られており、これまでも哲学、詭弁術、民族、道学の著書を手がけてきました。霊廟は左右対称の構造で建てられる予定でした。建物は焼いた煉瓦をグルーグロットの上に載せて組み立てる方法で建てられており、これらのク-ポラスは雪花石膏でできています。中央のホールは二重構造のドームに覆われています。霊廟はこれまでも複数回、修復されています。

ミルゾ・ツルスンゾダ廟:このモニュメントは1981年に作られました。モニュメントはタジク人著者のミルゾ・ツルスンゾダの石塔として建てられました。モニュメントは3本の大理石で出来た柱を中心に故人が解るように建てられています。中央の柱の高さは13.5m、両方の脇にある柱の高さは片側が12メートル、石塔の直径が5.5mあります。中央の柱の上には大理石で象られた胸像があります。ク-ポラのはざま飾りと王冠は垂直に組み立てられています。

イモイリ・ソモニモニュメント(記念像):約40mもの高さがあるモニュメントは10世紀のサ-マーン朝を建国したイスマイリ・サマンクンダを称えて建てられたものです。モニュメントの土台となっているのは耐久性のある展示用の平板で固められ、上部は金によって上塗りが施されています。

古代イストラフシャン地区:この地区は12世紀~16世紀の歴史的モニュメントがあったり、2層からなる高く長さ6.4kmもある壁に囲まれています。その他にも60のモスクやマドラサが8、7つの浴場や商店などがあります。

ホジャンド要塞:紀元前3世紀に高い丘の上に建てられました。要塞は強固な防壁と門によって数世紀にわたり守られてきましたが12世紀に破壊されましたが、その後復元されました。パミール地方でもっとも古い入植地のひとつであるホルグは元々あった二つの村が合併してできたものです。1925年にパミールハイウェイの開通と同時にこの地域の中心になったのです。現在は東タジキスタンとゴルノ・バタフシャ-ン州の中心都市です。

当時、町はまだ小さく、一本の通りに博物館と食料用の動物を売る市場とレーニンの肖像を写した写真が飾られているだけでしたが、現在では人口22,000人と多数のミルク、精肉、パンの工場、複数の靴の製品工場、金属製品、製品組み立てや食品流通工場があります。

文化施設1980年代中期まで1,600以上の図書館がタジキスタンでは運営されていました。中でも特にフィルダバシ国立図書館は多数の貴重なコレクションとオリエンタルの写本を保管していたのです。

タジキスタンでもっとも知られている博物館はドシャンベにあるベゾード歴史博物館、地域研究・芸術・民族科学研究博物館です。このような貴重な歴史、地域研究の博物館は国内の都市にもあります。

バレーとオペラがタジキスタンに紹介されたのはソ連時代です。これはタジク様式の歌や踊りを披露する組織ができたのと同じぐらいの時期です。ドシャンベのオペラとバレー劇場は市内で一番初めに誕生した大型の建物です。工事が開始されたのは1939年です。ドシャンベにはタジク語とロシア語の劇場や演劇学校もあります。これら音楽、ミュージカル、コメディやドラマなどの劇場は国内の複数の都市にもあります。

タジキスタンではティーハウスは憩いの場であり、バザールの側、もくしくは音楽が聞こえる方に向かえば見つけるのは容易です。人々(主に男性)はお茶、食べ物、会話やチェスを楽しみにここに集まってきます。

ボルダ-ドシャンベティーハウスでは妥協のない高品質なペルシャ料理や7つ以上の違う国の料理を用意しています。お茶を飲まれる方々にはポットの中にお茶の葉を用意し、手に取れるようにしています。タジクの飾りつけに囲まれたボルダ-ドシャンベティーハウスでは美味しい飲み物と食べ物を準備しますティーハウスはあなたにとって思い出深く再訪したくなる場所になるはずです。   

織物と絨毯作り中東近隣の人々にとって絨毯は通路に引くものとして、その他の様々な種類のカーテンやクッションと同等に家具の重要な部分を占めています。絨毯は基本的に使用目的別で大きく3つの種類に分けられていました。壁掛け用、床用と通路用のカーペットです。最後にフェルトの敷物はこれらの中でもっとも高価な装飾された絨毯です。

カイロクムカーペットカイロクムから齎された絨毯と絨毯製品は世界のあちらこちらで売られていたのです。この近代的な手法と色の組み合わせをタジクの絨毯職人は同時に保つことで2つの絨毯の間で完璧な技術と色の調和を図り融合させ、独特で上品なカイロクムカーペットを作り出したのです。

刺繍帽子:(チュベテキカス)はタジクの民族品としては馴染みが深いものです。ソ連時代には、有名になったこれらの多くが専門技術を持たない裁縫職人によって生産されたのです。チェベテキカスは花嫁と花婿がかぶるためのものです。以前より西洋化が進んだ現在でも多くのタジク人が伝統的なチュべテキカスをかぶっています。

天井画と装飾画:描かれている天井板の絵はタジク(ペルシャ)の絵としてはイランを含めた中央アジアで古い絵です。芸術的な職人技はホジャント、サマルカンド、ブホロやイスファホンなどの美しいモスクでも観ることができます

習慣:タジキスタンの若者、特に女性は大人びた性格をしているので明るい色を好みますが、古い織物で黒か純白の柄が入ったドレスなども着たりします。しかし基本的にはお洒落なデザインと色彩が豊かなものを好み、元気がとてもよい女性です。習慣として刺繍には豊かで豪華な装飾品が施されています。素材はシルクまたはウールで出来ており手編みと特別な裁縫機によって編まれています。今でも共和国南部の山岳地帯などの地方では衣服は織られています

男性の衣装は切り込みが入った程度の変化が激しくないシンプルなものです。衣服は基本的に腰まである長いゆったりとしたもので袖の短い上着を着ます。ベルトは皮、又は織物で作られ、バックルは銀の装飾で飾られています。

宝石の製作と鎧の製造は基本的にそれぞれ違う技術製作所と鉄工所で作られていたのです。証拠に中世の町の発掘が行われた際、進んだ宝石技術の入った前蒙時代の絵の考古学的発見がされたからです。女性の宝石、馬の革具、軍用備品には金、銀、銅、真鍮などが使われており、その他にも山岳地帯で採掘されていたエメラルド、ターコイズ、コーネリアン、チャルセドーニ、ガーネットやクリスタルが装飾品として使われていました。

音楽器パミール地方の音楽は長い竿で強い単音を出すリュートと呼ばれる楽器を使うのが特徴です。また、これら音楽ではバラエティー豊かなリュートが使われています。具体的な名前を挙げるとするならばバタフシャン地方で使われているルボビ・ポミリが例として挙げられます。この楽器もリュートの仲間で弦が三重になっており強い単音を出すことができるのと木製のピックを使うのが特徴です。その他の有名なリュートはタンバーと呼ばれる弦が七重になっていて多くの音を共鳴させることができる弦がついていることで有名です。これらはリュート、セターと呼ばれるおり、長い竿で三つの音を奏でる弦を持ち、六つ以上の音を共鳴させる弦を持つのが特徴です。輸入されたリュートはアフガニスタンの楽器であるルボブやアゼルバイジャンのターと似ています。

注目を集めるアクティビティ

山岳・トレッキング

カヤッキング・ラフティング(個々でラフトを用意することをお勧めします。)

スキー・バイキング

ハンティング・サファリ

ジープツアー

ホジャ・オビ・ガルム心臓血管療法のシステムがあるヘルスリゾートです。施設には心臓血管療法のほか、呼吸器官、婦人科学、胃腸、循環器系、肝臓、皮膚病やその他病気の療養設備があります。


最終更新日: 2009年01月06日 @ 08:27pm